||  人喰い鬼と愛し仔  ||




一.



 火が爆ぜる。木枝の崩れる音に、囲炉裏の傍に張り付いて眠っていた子どもが身じろいだ。血色のよいくちび
るが気難しげに歪められ、ややおいて炎に照らされて揺らめく瞳が瞼の内から現れる。幼子はそのまま起き上が
り、ぼんやりとした瞳で囲炉裏を挟んだ向こう側にいる男を見た。彼は火には当たっておらず、一間しかない庵の
隅の暗がりで、蝋燭の明かりのみを頼りにしていた。時折空気を含んだ咳をして薄くわらう。
「あんちゃ」
 薄っぺらい夜着をちいさな手に握って、子どもは呟く。
「さむい」
「火にあたっていたのにか」
「せなか、さむい」
 むずかるような言いように男は嘆息し、着物についた木くずを払い落した。子どもがけがをしないよう刃物を一
旦脇に避け、手招く。
「お出で」
 子どもは嬉しげに相好を笑み崩し、夜着を引きずって這ってくる。動きづらそうなその動作に男は苦笑して立ち
上がり、夜着ごと子どもを抱え上げた。
 きゃーあ、と子どもはちいさく声を上げ、男の首に手をまわした。大好きな兄に構われて機嫌がいいのだ。
 男はすっかり目を覚ましてしまった様子の愛し子の頭に夜着を被せる。
「寝ろ、まだ夜半だぞ」
「やーっ」
「やー、ではない……」
 ほとほと困り果てて、男は眉を下げた。元来彼は子どもが好きなわけでも、かかわりが多かったわけではない。
何の因果か何の血縁関係があるわけでもないこの子ども拾い上げて十年余り、男はいまだによく接し方が分か
らないでいた。
 腕の中で暴れまわるのをあわてて押しとどめて、大人しくしろ、と声をかける。夜着の中に手を差し入れて、子
どもを取りだす。夜着は床に落ち、髪を乱して息を弾ませた子どもが、男に向かって笑いかけた。それに毒牙を
を抜かれつつ、男は努めて低い声を出す。
「お前のほしいと言っていたものを造ってるんだ。静かにしてないと早くは出来んぞ」
「なあに?」
「脚、だ」
「ほんとうっ?」
 声を跳ねさせて、また子どもは男の首に抱きついた。
 脚、と男が言うように、着物を腰で縛ったその先に、子どもはあるべきはずの両足を具えていなかった。生まれ
れながらに持っていなかったのだろう。男が冬の山中で子どもを見つけたとき、まだほんの嬰児だったので。
「あんちゃは、うそつきだ」
 嘘吐き、とけなしながら、子どもの声はやはり笑っている。男は三白眼気味の両目を気まずげに泳がせて唸っ
た。身に覚えがあったのだ。
「大きくなったら貰えるんだよ」
「生えるんじゃなかったの?」
「ああ」
「やっぱりうそつきー」
 息をつめて、男は黙りこむ。
 こういったとき、どういった答えを返すのが適切であるのか男はよく知らない。仕事では豪胆だ冷酷だと囁かれ
ているが、この幼い養い子の前ではみっともなく狼狽することしかできないのだ。
 男は自嘲する。元より、血に染まった己が手で子どもなどまともに育てられるとは思っていない。けれど嗚呼、
十年前からほんとうに解せないのだ。そうだというのにどうして己れは、一瞥するだけで何の役にも立たないとわ
かりきっている子どもを抱き上げたりなどしたのだろう――?
 何であれ解しているはずだ。この手はこの無垢な子に触れてはならぬ手だ、と。
「あんちゃ?」
 小首を傾げて子どもは男の頬に触れてきた。その手が思いのほか冷たいのに身を引きかけ、男はあいまいに
口端に笑みを乗せて、十年の間になんとかぎこちなくはないくらいの笑顔は取り繕えるようになっていた、袖で子
どもの手を取った。
「ここにいてもいいから、夜着にくるまっておけよ」
 落ちた夜着を拾い上げ、埃を落として子どもを包みこむ。
「いいの?」
 見上げてくる子どもに頷きを返す。
「寒いのだろう?」
 隙間風の入る襤褸の庵だ。身を寄せていたほうが暖かいだろう。
 蝋燭が揺らぐ隅に戻り、腰を冷たい床に落ちつける。囲炉裏の暖かさはわずかに伝ってくる程度だが、それで
も子どもはこちらのほうがいいらしい。
 膝の上に子どもを引き上げる。大人しくしておくことを約束させ、男は傍の工具へ手を伸ばす。まだ満足に形の
できていない棒を削り始めると、子どもは興味をそそられたのか手元を覗き込んできた。
「これ?」
「――そうだ、危ないからあまり近くへ寄るな」
 手を止めて額を突くと、子どもは素直に男の胸元へ頭を預ける。まだ夜は深く、子どもが起きておける時間では
なかった。子どもはすぐに眠たげに瞼を瞬かせる。何度か身じろいだ結果気に入った体勢を見つけ出し、目を閉
じる。男が離れていかぬよう、袖をしっかり握り締めている様子がいじらしい。
「ねえ、あんちゃ……」
 夢見心地な声が男を呼んだ。何だ、と返答を寄越しながら小刀で木を削る。半透明な木屑が空に散る。
「足があったら歩けるねぇ……。あんちゃに、めいわくかけないね……」
 手が、滑った。木に半分刃を突き刺したまま、男は驚いて子どもを見下ろした。
 迷惑、などという単語を、その意味を、いったいどこで覚えてきたのだ。
 男の動揺が伝わったのか、ぼんやりとした瞳が男を見上げた。
「あんちゃ?」
「――……お前は、」
 いいさした言葉は途中で途切れ、男は頭を振って着物の袖で子どもの瞳を覆い隠した。出逢ったころから変わ
らない、漆を落としたような瞳。
「寝ろ、――そのようなことは、お前が考える必要のないことだ」
「――ん、」
 ややもおいて、身体にかかる負荷が増えた。まんじりともせずにそれを待っていた男は、そこでようやく腹の中
に溜め込んだ息を吐く。
 刺さったままだった刃を抜いて改めて単調な作業を繰り返しながら、男はふとまた己の握られた袖に視線をく
れた。
 子どもは添い寝をするとき、男の着物を掴む癖がある。今まで甘えだと思っていたその行動が別の意味をはら
んできたことに気づいて、男は苦しげに笑みを漏らした。
 いじらしい、ではない。
 ひどくその手は切なかった。
 それなのに、その妹をれは置いて逝くのだ。



       
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