心骨に刻す


< 衰 >


 大きな瞳からひたすら涙をこぼして、十籠は顔をゆがませた。もう声を上げては泣かないのだな、六淵はえぐえぐと自分の腹に顔を埋めて泣いていた幼子を思い出した。十籠は自分の衣を握りしめ、ぶるぶると小さな手を震わせている。
 唇のわななきを無理やり抑え込み、落ち着いた呼吸を装って、十籠はゆっくりと言葉を吐き出す。
「……自分を、たなに上げるなよ、六淵……、」
 六淵は眉を跳ねる。
「――何のことだ」
 そう言いながら、六淵はもう、感づいている。
 十籠が何を言い出すのか。
 そこはえぐられると、痛い箇所だ。
 声が僅かに身構えた。
 しらを切った六淵に、十籠は感情を爆発させた。
「っ六淵が! 最初にうらぎったんじゃないか……ッ! 自分だけがうらぎられたような顔をして、わたしを責めるな……!」
 煮えたぎった怒りと哀しみを、持て余すように十籠は地面を叩いた。
「知っているぞ! わたしの力を喰らっただろう! どうりで最近、身体が思うように動かないはずだ……!」
「――いつ、」
 色なく落とされた独語に、十籠は喉を嗄らして吼える。
「昨日だ! 家のものが教えてくれた!」
「お前がこちらに来ているのに、気づいたのか」
 十籠ははっとし、悔しげに目元を歪め、顔を背けた。一瞬力の抜けた声は、またすぐに激情を伴って拉げる。
「……力が、うまく使えなくなったんだ。……すぐ消耗して、集中できなくて! 術もちゃんとはつどうしない……! ついてこようとする連中を、うまくまけずに、結局見つかった! 綾識は激怒した! もうゆうちょうに時を待っている場合ではない、式は要らぬ、お前をほふると言った! 平成の世、神はもはやお前を滅ぼしたところで、創れると……!」
「俺よりも、あんなに嫌っていた連中のことを、信じるのか」
 それとも、そこから偽りの姿だったか。
 その呟きに十籠は激昂に顔を真っ赤に染め、腕を打ち振って立ちあがった。
「そうさせたのは貴様だ……! いけしゃあしゃあと、よくも言う……!」
 足元がふらつく、地面がどこか、定まらない。けれど十籠は両足を踏ん張り続けた。眩暈、眩暈、眩暈。現実は一体どこだ。これは本当に現実か?
「そこまでわたしに要求するなら、何故、あんなことをした……っ」
 眩暈、優しかった現実が崩れ、立ち現われてしまった、これが本当。悪夢のような真実。
「わたしは貴様に言ったはずだ……! おかしいって。何もかもうまくいかないって。気づいていたんだ、気づいて、見ないふりをしていたんだ。でもこのままどんどん力を失ったら、わたしはここに来られなくなる……! だから、言ったんだ。喰らうのをやめてほしくて、言ったんだ! なのに貴様は止めなかった! だからほら、――――見ろ! 綾識にここに来ているのをさとられた!」
 広げた両手、周囲には死体の山。六淵が降らせた、毒の雨に打たれて死んだ。この死体の中には、先陣をきった十籠の父親の屍もある。
 家族を殺された、恨み事を六淵に言うつもりはない。冷酷だと言われればそれまでだ。家族らしいことをしたことは一度もなかった。情を抱く、隙間もなかった。綾識に生まれた時点で、十籠は綾識という集団の一であり、それ以上ではなかった。ただ十籠が綾識の中でも直系の子どもで、莫大な才能を有した次期総領だった、それだけだ。綾識を動かす歯車のひとつ。でも限りなく重要度が高い部品。一兵卒ではいられなかった。ゆえに厳しく教育された。六淵を次代で降すよう、期待を受けた。そのためだけに何代も血を濃くし、造られた仔ども。血に呪いを刻まれた仔ども。すべての穢れを躯から削ぎ落し、六淵のために育てられた。
 十籠は期待に応えてしまった。多くの犠牲を、支払って。
 綾識という組織よりも、十籠にとっては余程、六淵の方が大切だったのに。
 六淵は十籠を裏切った。お前の見せてくれた愛情が本物なら、十籠の力を喰らうのは止めてほしい、その言外の願いを打ち捨てた。
「貴様はわたしを、だましていたんだ……」
 息を切らしながら十籠は肩を落とし、ほろりとこぼした。十籠のおもてに乗せられた、たった九つの子どもが浮かべるにはあまりに生き疲れた儚い微笑。六淵は息をのむ。
「――楽しかったか? まったくの演技に過ぎないのに、わたしが貴様になつくのを見るのは……。綾識を恨んでいた貴様にとって、さぞかしこころよい時間だったろうな。わたしが弱っていくのを見て、気は晴れたか?」
「っ違う、十籠。俺はお前をとり殺すつもりは……ッ」
 子どもはどれだけ自分の躯が清浄なものか理解していない。六淵が直接なにかせずとも損なわれるくらい、穢れに弱いか気づいていない。
 喰らっていたのはほんの少し。異常なほど強大な法力とは裏腹に、それを支える十籠の肉体は脆弱だった。殺してしまうのか怖かったから、少しずつ。あとは、どうにもならない領分だった。来るな寄るな、穢れるからとは、六淵は自分から言い出すことはできなかった。言えばよかったのか? 構うのは確かに自分のためでもあったけれど、十籠は本当に、さびしい子どもだったのだ。
 十籠はかぶりを振って男を制した。さらさらと流れる黒髪は六淵と出逢ったときよりはいくらか長くなって、肩よりも少しばかり低い位置で揺れている。
「……もうだめだよ、六淵。何を言っても、もう過去はうそになってしまった」
 十籠は静かに憫笑した。
 そんなつもりはなかった。現実に起こったできごとに対して、その言い訳はもう使えない。
 現に六淵は、十籠の力を喰らい続けた。
 現に十籠は、六淵を自分の下僕に貶めてしまった。
 どのような感情から機縁したものであれ、その事実だけは変われない。
 十籠を慈しんだ過去も、六淵を慕った過去も、全部ぜんぶ、――――あぶくだ。

           


14.03.06


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