「『動くなよ、六淵』」
全霊を込めた命令に、膝をついたまま、六淵は固まる。
「まったく……、まったく。大した……げぼくだ。しつけが……必要だな。……なあ、駄犬」
まめらない舌を無理やり動かしながら、背後の六淵を十籠はせせら嗤う。
腰を屈めて拾い上げたのは、ひと振りの打刀だ。先ほども六淵を痛めつけたそれ。まだ男の血がべったりと付いている。
左手にそれを持ち、半身で十籠は六淵を振り返った。
冷や汗を流しながら、一層ふらつきながら、それでも十籠は優位を誇示するためだけに唇を吊る。
「だけん……、ふふふ、あんがい、いいあだなだ。六淵、ぶち……、きさまごとき、犬畜生と同じでかまわんだろう」
ずるずると刀を引きずり十籠は六淵の前に立つ。
「『伏せろ』」
難なく六淵は命ぜられた通りに動く。そして、十籠は無造作に――そう見えるように細心の注意を払って――、六淵の背に刃を突き刺した。まだ癒えきっていない傷がある、同じ場所だ。
肉を断つ感触、びくりと跳ねる筋肉、滲む血、堪えられたうめき声。
「……貴様のいのちをにぎっているのは、わたしだということを、……わすれるなよ。言葉ひとつで、わたしはきさまの世界を……暗ますんだ」
恨まれ続けなければならない、そのための存在であり続けなければならない。
十籠は必死で唱え続ける。手の震えを抑えつける。
そのためだけに、これからを生きていく。
「『返事は、六淵』」
「――――はい、……ご主人、」
「っく、っふ、ふふふ……」
――本当に、この男を下僕に貶めてしまった。
嗚咽を、笑い声で誤魔化した。くしゃくしゃに、下を向いた六淵の髪をかき混ぜる。これだと涙が落ちても気づかれない。泣き顔は見られない。絶対悟らせない、一生本心は告げない。
「『そのまま動くんじゃないよ、六淵……。ものわかりのいい子は、すきだよ』」
すき、だいすき、だいきらい。六淵。――――だいすき。
だいすき、だったのに。どうしてこうなるの。
どうしてこんなに、わたしたちは壊れてしまわなくてはならなかったんだ。
――――でも。
(……こうするしか、なかったんだ……)
「……知るだけすべてのちじょくをあたえてあげるよ、むぶち。貴様も、うらむざいりょうが増えて、ほんもうだろう? 貴様がまいた、さいかのたねだ。せきにんを、とってもらわないと」
ひとりぽっちになるくらいなら、死んだ方がましだという気持ちを、六淵、お前には理解できるだろうか。
知らなかった、孤独ということ。六淵に出逢ってから知った。孤独だったこと。他の誰がいても、十籠は独りだった。六淵がいなくなってしまえば、十籠はまた独りぽっちに戻ってしまう。なのに、それに耐えられていた子どもは、そこにはいない、戻れない。あのころには。孤独の意味を、知ってしまった。
「――――お前を、俺は心底憎むよ、十籠。いつか必ず、殺してやる」
「……わたしもだよ、六淵、このうらぎりものめ。できるものならやってみるがいい。たのしみに待っているさ」
六淵から受ける殺意を、十籠はやさしさのかわりにしている。
与える侮辱に、ひそかに慕う気持ちを籠めている。
そんないじましい自分をせめて赦してほしい、十籠は心中でさびしく呟いた。
わたしのいのちを、捧げるから。