心骨に刻す


< 碌 >


(だいすきなんだ、護りたかっただけなんだ。それだけなんだ)

「……わたしも貴様を心底呪うよ。うらぎりものめ」

(……そばにいてほしかった、だけなんだ)
 萎えた足で、それでもせいぜい偉そうに見えるよう六淵のもとへ歩み寄る。怪訝そうに男は十籠を見上げ、十籠はにっこりと真意の見えない笑みを頬に刷いた。
「ッ!」
 音高く、十籠は六淵の頬を打ち据える。ちいさなてのひらから受けた暴行くらい、六淵はなんでもなかったに違いない。それでも思いがけない仕打ちに、しばらく思考が停止したようだった。やがてゆるゆると乱れた緑青の髪を打ち振り、男は顔を上げる。恨みの籠った鋭い眼差しが十籠を睨んだ。褐色の肌には、それでも赤く紅葉が咲いて、滑稽だった。くくく、と十籠は喉を震わせる。
「……てめぇ……」
 低く唸り声を上げる男の頭を、十籠は押さえつけた。傲然と言い放つ。
「ご主人さまに向かって、ずいぶんなもの言いだな。六淵。貴様はまだ、自分の立場が分かっていないらしい。ひざまずいて、頭を垂れろよ」
 六淵は屈辱に瞳をゆがませた。それでも十籠は躊躇わなかった。六淵、語調を強めて呼ばう。それとも汚れた足を乗せられて、無理やり地面に挨拶したいか。
「『命令、だ』」
 六淵は身体を強張らせ、のろのろと小さな主君の言葉に従った。
「……俺に裏切られた復讐がしたいなら、いっそ首を刎ねればいいだろう」
 汚辱に拉げた声が、呻く。
「馬鹿言うな」
 十籠は六淵の提案をはねつける。ひやり、心臓が冷えた。
 それでもなんでもない様子を装って、丸まった六淵の背に腰かけた。
「そんな勿体ないことができるものか。せいぜい長くいたぶってやるさ。それに貴様がいた方が、綾識の人間に体面がたつ。生きていくのは、面倒だ。貴様がいれば、自分で始末をつけた証明になる」
「……こんなガキなら、あのとき喰らっておけばよかった」
「うん。だから、言ったじゃないか」
 歯噛みする六淵に、十籠は努めて明るく、軽い声を放る。
「……お前ははなっから間違えたんだって」
 突然、六淵が身体を起こした。十籠は転がり落ち、地面にぶつかる寸前、背を六淵に掬われる。
 驚きに瞑っていた目を開くと、六淵の顔が至近にあった。背中には冷たい土の感触。男は十籠の身体を跨いでいて、両腕も顔の隣に置かれ、十籠が逃げられないように囲っている。六淵のざんばら髪が、頬を擽るほど、近かった。
 顔は暗くて見づらかったけれど、鮮やかな金の瞳だけが憤りに燃えていた。
「――――調子に乗るなよ、人間、」
 激情を抑え込んでいるせいで、平坦になった声が言った。
 そう、そうだ。六淵はこんな男だった。神だった。
 やさしげに見えた面の薄い皮を一枚暴けば、その下はすべての人間を平らかに見下す、残酷さしかなかった。十籠は六淵の特別ではなかった。
「長くふんぞり返っていられると思うなよ。少しでも隙を見せてみろ、嬲り殺してやる」
「……期待しているよ」
 十籠はそっと目を細めた。
 ――――――期待しているよ、六淵。
 揶揄したつもりはなかったのに、六淵はそのように受け取ったようだった。口端が引き攣る。
「ああ……そうかい」
 ゆったりと吐き出された相槌に、
「お前さんが俺を打ったのは、右手だったか?」
 右手首を掴まれたのは、同時だった。「ほっせぇ腕……」
 はっとするが、もう遅い。
 身体の内部が砕かれる、鋭い音が脳天に突き刺さる。悲鳴すらあげられなかった。あく、とあえいだ十籠を、面白そうな、さりとてつまらなそうな、奇妙な凪いだ目で六淵は見下ろした。
 十籠は全身に伝っていった怖気に身を震わせながら、必死に平静を保とうとする。奥歯を噛み、涙をこらえる。死にそうだ。気を抜けば、すぐに気絶できるだろう。こんな痛み、修行中も味わったことはない。
 苦痛を必死で押し殺しながら、十籠は口内に溜まった唾液を飲みほした。
「おいた、が……、過ぎたな……、ええ? 六淵」
 ずりずりと六淵の下から這い出す。砕けた手首は、まるで心臓になったかのように鼓動している。身体の神経すべて集中したか、むき出しになったみたいだ。少しでも振れないようにしながら、十籠は立ちあがった。


           


14.05.17


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